高崎駅を西に進み、
古い商店街を歩いていくと、
シネマテークたかさきがすぐに見えてくる。
一歩入ると壁一面に書かれた監督たちのサイン。
「あ、あの監督も来ていたんだ。」と若手監督の名前を見て嬉しくなる。
高崎の映画文化を支えるシネマテークたかさき。
この場所を支える小林支配人に話を伺った。
高崎ってすごいところだなって思ったんですよね。
ーまず、小林さんが映画や映画館に関わっていくきっかけは何だったのでしょうか?
小林栄子支配人(以下、小林):私は高崎出身なんですけども、映画好きとは言えないくらい、映画はたまに観るくらいでした。私が小学生だった当時、高崎駅の西口に銀座通りというのがあって、そこに東映、東宝、松竹などの直営映画館があったんです。だけど全部建物が古くて、小学生の時には映画館は怖いところってイメージがあったんです(笑)。家族も映画を観るほうではなかったので、年に1本学校で配られる割引券の映画を親と一緒に観に行ったりするくらいでした。
高崎映画祭は中学の時に知って、知ったきっかけが、大林宣彦監督の『ふたり』という映画だったんです。私はこの映画がとても大好きで、松竹電気館に友達と観に行って、すごく気に入った映画でした。その『ふたり』という映画が高崎市文化会館で上映されるっていうのをチラシで見て、これは行かねば!って友達と一緒に観に行ったんですよ。それで、映画の上映が終わったら普通にみなさん帰りますよね。私も帰ろうとしていたら、この後に授賞式があるという事で、よく分からないけど見てみようと思って前の方に座っていたんですね。そうしたら、さっき観た映画の女優さんたちが出てきたんですよ。もうすごく感激して。
でも大林監督がいらっしゃらなかったんですよ。やっぱり監督ってすごい人だから高崎なんてところには来ないんだとちょっとがっかりしていたんですけど、しばらくしてから監督が壇上にいらっしゃったんです。「ごめんなさい。遅れてごめんなさい。」って。遅れたお詫びに、『ふたり』で監督が作詞をされた主題歌を生歌で歌ってくださって(笑)。私はめちゃくちゃ感動してて、すごく忘れられないものになりました。高崎ってすごいところだなって思ったんですよね。それに、監督も高崎映画祭は素晴らしいっておっしゃるんですよ。こんな良い映画祭はないって。どれだけすごいんだろうと思って、それから毎年映画祭のチラシをチェックして1本か2本は観に行くようになりました。
そのあと高校生になって、映画祭がボランティアスタッフで運営されているのを知りました。ボランティアだったら私もなれるのかなと思って、映画祭の事務所に「ボランティアスタッフになりたいです。」っていう手紙を書いて勝手に送ったんです。でも返信がなくて、「あ、やっぱり特別な人しかなれないんだろうな」と思ってたんですね。
その後、大学を卒業して高崎へ戻って来たときに、映画祭がボランティアスタッフを募集しますという広告が高崎市の広報に載っていたんです。せっかく時間もあるしやってみようかと思ってFAXを送ったらすぐ返信が来て、〇〇で映画祭の説明会があるので来てくださいって。そこへ行ったらマンションの一室のすごく狭いところで、茂木正男さんがいらっしゃって、「毎週夜一回集まって、ミーティングして、上映が近くなったら上映の準備します。こんなところだけれど、よければ来週から来てください。」と。
実は高校生の時に手紙を出したんですって茂木さんに言ったら、「ああ、あれはね、未成年は断ってるの。」って簡単に言われて…。だったら返信してくれればよかったのに(笑)。
ーなるほど(笑)。数年越しにスタッフになることができたんですね。映画を観る側から観せる側になって、何か変化がありましたか?
小林:関わり始めた時は本当に無我夢中というか、とにかくどうやって運営してるのか興味があったんですね。だから、とにかくやってと言われたことはやる。チケットを売ってと言われたら売る、チラシを撒きに行って来てと言われたら撒きに行くっていう感じで、地味な裏方の作業ですけど1枚チケットを売るっていうことは本当に大変だと実感しました。
身近な友達だったら買うよって言ってくれるんですけど、それ以外の人にどうやってこのチケット1枚を売って、映画を観に来てもらうかっていうのがどれだけ大変なのかっていうのを肌身で感じていました。とにかくボランティアの時は必死でしたね(笑)。
高崎の皆さんが観たいと思う映画がなんとなく見えてきたんです。
ーそのあとシネマテークたかさきの運営に関わることになった経緯はなんですか?
小林:2000年に高崎映画祭のボランティアスタッフになりまして、そこから上映を手伝っていたわけなんですけれども、数年後に、“映画館を作ろう”という動きが大きくなりまして、そこで先代の茂木から一緒にやらないかと声をかけていただいて、シネマテークたかさきの設立から関わるようになったのがスタートです。
ー小林さんはずっと高崎の映画や映画館の変遷を見てきたんですね。
小林:やはり2000年あたりからだいぶ変わったんですよ。
映画を観る環境もだいぶ変わってきた年で、インターネットが普及したり、シネマコンプレックス型の映画館が群馬県内にいくつもでき始めたり。高崎映画祭もそうなんですけど、映画の動員数がガクッと減り始めた頃から関わりました。
私が映画祭に関わり始めた第15回高崎映画祭の時は、土日になるとお客様がものすごく押し寄せて、700人入る高崎市文化会館が満席で当日券も売り止めするくらい人が押し寄せてきました。だけどその数年後にはもう700席埋まることがほとんどなくなって。春休み期間に映画祭をやっていたのでボランティアスタッフにも学生が多くて、春休みに観に来るお客様も学生が結構な割合を占めていたんです。でもその数年でボランティアスタッフの応募に学生が来なくなったり、お客様も10代20代がパタリと来なくなった。
ー2004年のシネマテークたかさきのオープン以来、シネマテークの変化としてはどのようなことがありましたか?
小林:物理的な面では映画のフィルムが35mmからデジタルに変わったということと、映画の上映本数が爆発的に増えたこと。お客様の流れとしては、私が映画祭に入った数年後にお客様が少なくなったというような劇的な変化はなくて、年齢層にさほど大きな変化は見られないかもしれません。ただ当時よりも“ここにシネマテークたかさきがある”というのを知っていただけることは多くなったかなというのは実感としてあります。
ー制作される映画がものすごく増えている中で、上映を決めるための試写へ行く本数や、DVDを観るペースっていうのはどういう風にコントロールしているんですか?
小林:もうコントロールできない状況になってますよね(笑)。
映画館を始めた当初は、プログラムを茂木と今のNPO代表でもある志尾でやってたんですけど、2004年ですと、日本で上映される映画が、洋画邦画合わせて600本くらいだったんですよ。2013年になったら1200本に増えて、その数字が安定してきました。当時の倍以上になった中から選ぶというのが本当に難しいです。昔は配給会社さんから貸してもらえなかった映画っていうのがたくさんあったんですよ。やりたくても、まだ映画館が始まって一年も経ってないから、配給さんが「様子見てからじゃないと出せません」っていうところとかも実はあったんですよ。
でもそれが、年を重ねるにつれて配給会社さんの方からご紹介いただく作品も増えて来て、本当は全部やりたいんですよね(笑)。だけど、どうしても物理的な問題で、泣く泣く「これは…。すいません…。」とお断りする映画が多くなって来ています。その中で、高崎の皆さんが観たいと思う映画がなんとなく見えて来たんです。配給さんからお話をいただくと、この作品は高崎だけすごい入ってますとか、高崎だけ逆に入ってませんとかがあるんですよ(笑)。
そういう日々の上映の雰囲気やお客様の反応で、これはいけるなっていうのがなんとなくは出て来ました。でも、これはいけるなって思ったのが大コケするときもあります。
本当に水ものだなと(笑)。
ー高崎は映画祭、映画館、フィルコミッションなどで、映画と街全体を繋げる事を継続的に行っていますが、街と映画の関係についてはどう考えていますか?
小林:先代の茂木が「町おこしのために映画館を作ったわけじゃない」と言ってたんですね。やっぱり映画を観てもらいたい、というのも「映画の選択肢を増やしたい」っていうのが高崎映画祭の理念なんです。
東京で見られる映画が100だとすると群馬で見られる映画って30ぐらいだったんです。そうするとやっぱりどこの映画館に行っても同じ映画をやっている。そうじゃない映画もあるんだよっていうのを知っていただきたいというのもあるし、みんながみんな同じ映画を見ていると同じ考えしか生まれない。そうじゃなくて色んな選択肢があって色々な映画を見ることで、色々な意見が出てきたり考えが生まれてきたりっていうのが映画を上映する上での理想です。
映画を日常的に上映していく中で、町の人たちからも声をかけていただいて「この映画やるんだったら一緒にタイアップしませんか」とか、「シネマテークがここにあるけどちょっとお茶するとこがないよね」ってレストランを作った方がいたり。
ある映画とタイアップをしたお店の方は、実際に新しいお客様がいらっしゃったとか、今まで来たことないけどちょっと寄ってみましたっていうお声をいただいたりする中で、街の回遊性が映画を通して生まれてきているのかなと、10年前よりは感じるようになりました。
ー街と協力しながら映画を観せる工夫をすることもあるんですね。
小林:(映画館を)運営していかなきゃいけないっていうのも一方で、でも、商業的に成り立たなくても観てもらいたいと思う映画、観せたいと思う映画のバランスが釣り合わないところが大きいです。人が入る映画ばっかり上映していればいいかというと、違うと思うんですよね。人が入る映画は別の大きな映画館で観られる映画ですし、そうじゃなくて、こんな映画もあるんだよと。知らないものを知るきっかけが映画であったらいいなって思うところもあります。試行錯誤中ではありますけど、やっぱり毎日上映していることで映画館自体を知ってもらって、どんな映画をやっているのかっていうのを、ちょっとでも興味を持っていただくきっかけを撒いていきたいっていうのがあります。
私たちの想いとお客様の求めるものが少しずつ合致してきたのかな
ー高崎は、様々な努力の上で場所に映画を根付かせ、大事にしていると思いますし、小林さんにそれが受け継がれているんだなと思います。例えば“映画の観客を育てる”ということについて、あるいは映画と観客をどのような形で出会わせたいと思っていますか?
小林:それは宿題のようなことですね(笑)。
2004年にいきなりシネマテークたかさきがオープンしたら、今のようにお客さんに来ていただくことはできなかったと思うんですよね。高崎映画祭という土台があったことで映画文化が根付いた土地であるから、日常的に映画を上映していることが成り立つんだと思うんです。
大林監督が今年の3月に舞台挨拶でいらした時に高崎映画祭での思い出をお話してくださって、もう32年前になるんですが、当時、映画館のある街は映画祭が成り立たないって言われてたらしいんですね。
というのも、映画館があると人が分散してしまう。お客さんを取り合うっていうイメージがあって、高崎でこの映画祭が成り立つのかって不思議だったらしいんです。
大林監督が昔映画祭にいらっしゃったとき、街を歩いてたら映画館の外で掃除を一生懸命している人を見かけたらしいんです。すぐに話しかけてお話を聞いたら、「映画祭があることで、映画館にもお客さんがきてくれるかもしれない。そういう意味で、映画を観る人を育てる場所になる。だから自分たちも手伝わなきゃいけない。」と。
そのお掃除している人は映画館主さんだったらしいんですけどね。昔は映画館が高崎映画祭の会場だったんですよ。だから街の人と協力し合いながら映画祭がきちんと成り立ってる街で、そんなところは当時、全国にどこにもなかったと。だから、高崎の人はそれを誇りに思ってくださいとおっしゃってくださったので、それを受け継いでいかきゃいけないなっていうのと、新しいこれからの世代のお客様も増やしていきたいなっていうのがあります。
ースタッフも増えて、映画館を回すことができるようになった今、小林さんが直接お客様と対面しない時間も増えて、映画館のスタッフが直接観客の方と接する時間も多いと思います。映画館の支配人として、“映画館のスタッフ”をどのように考えていますか?
小林:社員は固定なんですけど、受付のアルバイトスタッフってやっぱり就職・卒業・入学だったりで、半年から1年でローテーションしていくんですよね。だから、映画祭から脈々と続いている理念やフィロソフィーを受け継いでいけるかっていうのは課題でもあって。群馬県の最低賃金くらいの(笑)、条件もあまり良くない、建物も古いところで、それでもここで働きたいって言ってくれる人たちがこれだけいるが本当にありがたいことだし、応募してくれる人は本当に映画を好きな人たちが多いんですよね。スタッフがお客さんとコミュニケーションを取る中で映画の情報が集まってくるので、やはりスタッフの感度も高くなると思います。そういうふれあいの中で、アルバイトをやめてからも(シネマテークへ)観に通ってくれる子たちもいますし、会員になってくれる子もいます。それが映画を観る人を育てるということで言えば、一つの成果なのかなというのはありますね。
ー映画館へ観に来られる観客と関わって行く中で、映画館に関して小林さん自身の考え方に変化はありましたか?
小林:今も試行錯誤のところはありますけど、映画を観に来る方っていうのは何か目的を持っていらしていると思うんですよね。この作品を観たいとか、この監督の作品を観たい、出ている役者さんを観たいとか。
その映画を観たいから来ていただくということがやはりメインなんですけれども、ここで上映しているから観に来たと言っていただける方も増えてきましたね。シネマテークたかさきでやってる映画だから観たいって言っていただけるようになったらいいねというのは最初から目標ではありました。1日中映画を観てくださる方もいらっしゃいますし、私たちの想いとお客様の求めるものが少しずつ合致してきたのかなっていうのは、少しですけど感じています。
ー最後に、シネマテークたかさきをどういう映画館、あるいは場所にしていきたいですか?
小林:この先5年10年で、映画を観る環境はまた変わってくると思うんですよ。配信ですぐ観られたりとか、この先10年が想像できないです…。映画館で映画を観るっていうことは、時間を合わせて知らない人たちと肩を並べて観るっていう一種のライブ感がある場所だと思うので、それは失くしてはいけないなと思います。あと、やっぱり映画って想像力を掻き立ててくれるじゃないですか。やっぱり家で観てると本当に自分だけのものになってしまいますけど、映画館で知らない人たちと観ることで、みんなのものになる。
それに監督だったり役者の方が来ていただいて、舞台挨拶やトークをしていただくことでその映画がさらに拡がったり、自分が観たもの以外の新しいものへ関心が広がっていったりするので、上映だけじゃなくて、何かプラスアルファのことをやっていけたらいいのかなと思います。
今年上旬の開催で32回目となった高崎映画祭、高崎電気館の運営、フィルムコミッション。
高崎はたしかに「映画の街」だ。
その「映画の街」の基盤を育んできたのは茂木正男さん、そして現在も活躍されている志尾睦子さんであることは間違いない。ただ今回のインタビューでは、できるだけ現在のシネマテークたかさき、そして小林支配人から見た高崎の風景にフォーカスしたかった。一方、私はインタビューの最中、茂木正男さんの人柄や愛されていたその姿をうっすらと感じていた。もちろん、私は一度も茂木さんに会ったことがない。
様々な人たちの努力と苦労あるいは誠実さが、分厚い地層として高崎の映画文化を育み続けている。
text & photo & movie : 深田隆之
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